北京毎逓通とメディア・ワンとの共同制作番組を放送しました。
シリーズ「EXCITING CHINA ~五輪への道 光と影~」
放送 :2008年3月10日(月)
放送局:フジテレビ系 「ニュースJAPAN」午後11時30分~
第6回「EXCITING CHINA」は
激増する北京の”車”、モータリゼーションの実情を追いました。
■構成 奥村健太
■ディレクター 中村豊
■AD 何祖杰
北京毎逓通とメディア・ワンとの共同制作番組を放送しました。
シリーズ「EXCITING CHINA ~五輪への道 光と影~」
放送 :2008年3月10日(月)
放送局:フジテレビ系 「ニュースJAPAN」午後11時30分~
第6回「EXCITING CHINA」は
激増する北京の”車”、モータリゼーションの実情を追いました。
■構成 奥村健太
■ディレクター 中村豊
■AD 何祖杰
第10回 植村直己冒険賞を受賞したリヤカーマンこと永瀬忠志さん(50歳)。
リヤカーを引いて世界中を歩くこと延べ43,107キロ、その距離は地球一周に相当する。
永瀬さんが、リヤカー旅をはじめたきっかけは、大学時代19歳の時。
少年の頃から夢見ていた大冒険を成し遂げようと、徒歩で日本縦断を思い立ち、
手では持ちきれないテントや食料などを載せるために、
北海道で中古リヤカーを手に入れたことにはじまった。
以後、“リヤカーを引いて歩く旅”が永瀬さんのスタイルとなり、
現在9代目のリヤカー「田吾作4号」を相棒に、世界中を旅している・・・。
リヤカーには、テントやガソリンコンロ、水、食料を加え、通常装備で総重量150キロ。
砂漠など過酷な場所に挑む時は、水と食料の増量で、200キロに及ぶこともある。
■変幻自在!ネギの物語
寒い冬こそ柔らかく、甘みが増して美味しくなるネギ。
ネギの種類の多さは他の野菜と比べてもピカ一!
青果店を覗いてみても「下仁田ねぎ」「赤ねぎ」「あさつき」「万能ねぎ」・・・と
何種類ものネギが並んでいます。
ネギを大きく分類すると、主に西日本で食されてきた青ネギ系と、
東日本で食されてきた白ネギ系とに分けられます。
番組ではネギが東西で“白”と“青 ”に分かれた理由を探し、歴史を紐解いていきます。
そこには地方の文化、独特の食材に合わせて進化を遂げていったネギの姿がありました。
■ナレーション 薬師丸ひろ子
■演出 奥村健太
平成20年度 『優秀映像教材選奨 社会教育部門』 優秀作品賞 受賞
1977年の刊行から30年、200万部を発行し、
9ヶ国語にも翻訳され世界中で読み継がれている『ガラスのうさぎ』。
その出版を機に、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴え続ける高木敏子さん。
病魔と闘い、生命を削りながらの「平和行脚」は、30年間で1200回を超える。
『ガラスのうさぎ』の朗読と高木さんのインタビューで綴る平和へのメッセージ。
北京毎逓通とメディア・ワンとの共同制作番組を放送しました。
シリーズ「EXCITING CHINA ~五輪への道 光と影~」
放送 :2008年1月21日(月)
放送局:フジテレビ系 「ニュースJAPAN」午後11時30分~
第5回「EXCITING CHINA」は沸騰する北京受験戦争を追いました。
■構成 奥村健太
■ディレクター 中村豊
■AD 何祖杰
北京五輪を間近に控えた、中国・北京をみのもんたが緊急取材。
通常のレギュラー枠に加えて、1時間半(8:30~9:55)の拡大版で
北京五輪直前特番を放送しました。
「8時またぎ」の総集編や、中国のエリート教育の現場や
拡大する格差社会の現状を取り上げました。
メディア・ワンは中国取材全般を、コーディネート&代理取材で活躍しました。
■取材総指揮 奥村健太
■AD 何祖杰 李文潔
北京毎逓通とメディア・ワンとの共同制作番組を放送しました。
シリーズ「EXCITING CHINA ~五輪への道 光と影~」
放送 :2007年11月26日(月)
放送局:フジテレビ系
「ニュースJAPAN」午後11時30分~
第4回「EXCITING CHINA」は沸騰する現代アートブームを追いました。
■構成 奥村健太
■AD 佐々木将人
北京毎逓通とメディア・ワンとの共同制作番組を放送しました。
シリーズ「EXCITING CHINA ~五輪への道 光と影~」
放送 :2007年10月31日(水)
放送局:フジテレビ系
「ニュースJAPAN」午後11時40分~
第3回「EXCITING CHINA」は、中国伝統の遊び「闘蟋(とうしつ)」を襲う
バブル経済の波を追いました。
■構成 奥村健太
■AD 佐々木将人
平成20年度 『優秀映像教材選奨 教養部門』 優秀作品賞 受賞
日本の民俗学のオルガナイザーと言われた渋沢敬三は、
祖父に日本資本主義の生みの親・渋沢栄一を持つ実業家でした。
父親の廃嫡問題により、若干19歳で渋沢家を継ぐことになりますが、
その一方で青年時代にアチックミュージアムという博物館を自邸内に設け、
玩具を収集し展示します。
昭和初期から、敗戦までのおよそ20年間、アチックミュージアムは活発に活動を続けます。
敬三は、生活の道具や生産の用具である「民具」を集めることに精力を傾けます。
「モノ」を通して、日本人の生活文化の基層に迫ろうという発想で、
学会に資料を提供することに徹した生涯でした。
また、多くの研究者も物心両面で支え、育てています。
■プロデューサー 牧弘子
■演出 藤原道夫
中国の奥地、チベット自治区にある小さな集落「加達村」(かたつむら)。
空気が薄く、赤茶けた山と泥の川にはさまれ、畑にも牧畜にも適さない土地に、
自然は特別の恵みを与えました。塩です。
なぜ、こんな山奥で塩がとれるのでしょうか。
そのルーツは、4000万年前にさかのぼります。
インド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、海底が隆起したとき、
海の塩は岩塩層として大地に閉じこめられたのです。
チベットには多くの岩塩層が確認されています。
しかし、唯一加達村だけが地中深くに眠る塩を採取することができたのは、
川が流れているからでした。
長い年月をかけて地面を削った川は、やがて岩塩層を溶かします。
塩をふくんだ水は、やがて地表に湧き出し、塩の井戸になったのです。
自然が与えた奇跡の恵み。
天空の村の住人は時代に寄り添いながら、この「赤い塩」を守る努力を始めました。
■語り 緒形 拳
■演出 奥村健太