『「他人」から「隣人」へ』
「無償でお金の入ってこないボランティアは続かない」
宮城県・気仙沼市で取材した、とあるボランティア活動者の言葉だ。
彼らは静岡のプロダイバー。
震災ニュース映像にほとんど映らない、海中の支援を行っている。
気仙沼市の漁場に潜り、「海のミルク」カキの養殖施設に
からまった漁網やロープを切ったり、斜めに倒れ、海に燃料がもれた
船をまっすぐに起こしたりと、水中に潜らなければできない作業を行った。
(取材中に頂いたカキは、ぷりぷりで美味しかったが、わずかに重油の匂いがした)
彼らは、はるばる10時間ほどかけ、静岡・伊豆から
ダイビング用の大荷物を持って、車でやってきた。
宿泊費、食費はもちろん自腹。当然ガソリンも。
何十本もの酸素ボンベ代も相当なものだった。
支援するには、金がかかる。
身銭を切るわけだから、そう何度もボランティア活動を
することはできない。
当然、食べていくための日々の仕事もある。
ただしこういう視点で放送したニュースは、今まで見たことがない。
現に僕も「頑張ってボランティア支援するダイバー」という放送をした。
支援を受ける側にも、遠慮の気持ちが出てくるだろう。
気仙沼の漁場の人たちも、またダイバーを呼びたいとは
言っていたが、
「他人様に迷惑ばかりかけられない」
と心のどこかで感じているだろうと思う。
「ボランティア、GWを境に激減」というような
タイトルの新聞記事を見た。
「支援活動のイベント化」、大いにいいと思う。
「土日ボランティアツアー」、観光の目玉、
それで助けられる被災者がいる。
ただ問題は、継続しないということだ。
一度限り。
支援のための次の一手は何か、最近よく考える。
それは、「他人」ではなく、「隣人」になることではないか。
つまり、そこに「住む」ことではないか、と思っている。