『被災地の光と影』
連日、東日本大震災を取り上げるメディア。
メディアに携わる者として、
被災地で取材していると、ある区別があるということ。
それは、
全国に知らされる場所・人と
誰にも知られない場所・人という区別。
3.11以降、”南三陸”、”陸前高田”という地名を
聞かない日はありません。
3.11以前は、どこにあるかも知らなかった土地を
津波被害が激しく目に焼きつき、
そこに住む人には物語があるという理由で
僕らメディアはニュースの宝庫のように取り上げます。
一方で
被災地をめぐった中には、
映像的にも被害が見えにくく、かつ地理的に不便な場所で、
遺族でもなく、傷を負っていないように見える人々もいます。
そこで出会ったのは、
要介護4、寝たきりの女性、73歳と
軽い認知症の男性、72歳の2人の老夫婦。
いわゆる老老介護。
自宅は、震災の影響で、医者がいなくなった
宮城県気仙沼市本吉地区の穏やかな山奥にあります。
津波の被害はなく、ガレキとは無縁の世界。
被災した気仙沼市と言われなければ
よくある田舎の介護風景にしか見えません。
僕が訪れた4月中旬、
水道はもちろん、電気も復旧していません。
そのため、介護用ベッドやエアクッションは使えないため
背中には、じょくそう(=床ずれ)を発症。
症状が悪化すると、死に至ることもあるのです。
しかし、病院は近くにないのです。
支援が集まりだした気仙沼中心部の病院とは打って変わって
こうした在宅でじっと耐える患者もいるのです。
救命に忙殺されている病院の看護師には
「症状が悪化したら、救急車を呼んでください」と言われたことも。
普段でさえ、過酷な在宅介護。
山奥で派手な津波被害がないその生活に
メディアが来ることはなかったのです。
メディアに携わる者として、
僕らが前者を選ぶのは至極当然のことかもしれません。
僕ら伝える側の人間が代弁しきれない
場所や人がこの震災の中に埋もれています。
「これだけ惨いぞ、この現場
これだけ悲しいぞ、この人」
というインパクトではなく
「普通の風景の中にも
気に留めなかったあの人の言葉にも」
という透視のような眼差し。
この眼差しこそ、この震災を伝える上で
大事なことだと思ったのです。
僕は3.11以後の取材において
この眼差しを怠っていたのでないか。
僕は、この大震災をインパクトの獲物として受け取るのみで
そこに住む人の生活を伝えきれてない。
まだまだこの震災の本性を伝え切れていないのではないか、
そう思うのです。
大きなことを大きく見せるのは、映像を見れば十分です。
小さなことを小さいことと捉えている
自分の未熟さを身にしみて感じています。