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コラム


語られなかった東日本大震災 ~Episode 4~

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風を”撮る”

4月某日。羽田空港から花巻空港へと向かう。
震災に対応して、JALが飛ばした臨時便だ。
フライトは約1時間、短い空の旅。
これから出会う景色を想像しながら、
また、眠気に身を任せながら、時間を過ごす。
ゴールデンウィーク直前だけあって、機内は満席だ。
この人たちは、どんな目的で向かうのだろう?
被災した親戚を慰問?ボランティア活動?取引先との打ち合わせのための単なる出張?・・・先入観を持っている自分の想像力の乏しさに、ため息が出た。

今回の取材の目的地は岩手県釜石市
被災したある老婆の取材だった。
予定時刻に花巻空港に到着。タクシーに乗る。釜石まで約2時間、運転手から被災地の情報を得ようとするが、大した情報はない。

車が釜石市へ入ると、大きな製鉄所が見えてきた。
屋根には、『魚のラグビーの町、釜石』と書かれている。
しかし、特に激しい被災箇所はない。
痺れをきらした私は、タクシーの運転手にいつになったら被災現場に着くのかと問いかけようとした。
すると、釜石駅を過ぎた瞬間、景色が一変した。車の車窓のフレームが切り取ったのは、まるで建物が崩れる瞬間を連続写真で撮影したかのように、徐々に崩れていく民家の様子だった。
瞬間的に窓を開けた。ルームミラー越しに運転手が露骨にいやな顔をする。
なんとも言えぬ異臭が車内に充満した。そのとき初めて、被災地に来たと実感した。

被災地に足を運んで、初めて知ったこと・・・
それを捕らえたのは目でも耳でもなく、嗅覚・鼻だった。
撮影と録音という行為を仕事とする私は、現地に入って早々、撮影するという行為の未熟さを痛感した。
映像という表現の枠の中で伝えられるべきものは確かに存在するし、
新聞やラジオなどよりもダイレクトに届くこともあるだろう。
強い画(という表現は好ましくないかもしれないが)であれば、伝わるという映像信仰を抱いている。しかし、映像に捕らえられないもののほうが人間の肉体には伝わるし、それこそ真実なのかもしれない。映像という大きな武器を手にした私は、大事なものを見落としているのではないか・・・。

釜石の町の臭いを嗅ぎながら、そんなことを考えた。
そしてその思いを胸に、カメラを回し始めた。
強い画ではなく、釜石の風がカメラに映ることを祈りながら・・・。

文責:制作部 金澤佑太

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