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語られなかった東日本大震災 ~Episode 25~

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『語り部』

宮城県南三陸町。

雪の舞う日、僕は、震災の記憶と向き合う一人の少女と出会った。
彼女の手にしたノートには、地震に襲われた出来事や、その時の心情が、
10ページにわたって、手書きの文字で綴られている。
それを、ボランティアなどに読んで聞かせる「語り部」を続けていた。

「3月11日、2時46分、5時間目の真っ最中でした。
いつもと同じように、机の下に隠れました。
でもどんどんどんどん揺れが強くなって、とても怖かったです。」

この一節から始まる、震災の記憶。
彼女の声に耳を澄ましていた、東京から来たボランティアたちの目には、涙があふれていた。

彼女もまた、メディア、だった。
何も、テレビや新聞だけの特権ではない。
被災者一人一人が、語り部、である。

きょう、テレビ各局が追悼番組を放送した。
記憶があふれた。
「あれから1年」はもう終わる。
だけど、明日も、あさっても、「被災地」である。
宮城県、岩手県、福島県、青森県、山形県、茨城県、栃木県、群馬県、千葉県、神奈川県、長野県、静岡県…。
「被災地」が「被災地」と呼ばれなくなる日が来る日を願う。

「あの記憶をだんだん忘れてしまう自分がいる。だから、このノートを読む事で思い出す」

あの語り部の少女は、僕にこんなことをつぶやいていた。

僕たちメディアもまた、だんだん忘れていく。
1年、2年、3年…。「区切り」で、ふとまた思い出す。
「区切り」なんてないのだけど。

メディアもまた、「語り部」であることしかできない。
声を拾っていくことを、続けていかなければならない。

そして、あの少女にも、語り続けてほしい。
地元のみんなが、伝えたい、という思いを、持ち続けてほしい。
僕は、そこにレンズを向ける。

取材後記「語られなかった東日本大震災」~震災から1年~は、
この記事が最後です。
だけど、僕たちは、書き続けます。
読んでくれた皆様、ありがとうございました。
語るきっかけをくれた、被災地の皆様、ありがとうございました。

文責:制作部 黒崎淳友

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