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コラム


語られなかった東日本大震災 ~Episode 19~

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『「生きること」にレンズを向ける』

東北地方に本格的な冬の寒さが迫ろうとしていた、去年11月。
私は、岩手県陸前高田市を訪れた。

取材の目的は、寒さで苦労している被災者の現状を追うことだった。
平地の少ない被災地では、多くの仮設住宅が高台に設けられた。
そのため街へ行くには坂道を上り下りしなければならない。
それに加え、この寒さで路面が凍って、高齢者にとって大きな負担になっている。

津波の被害を免れた一本松から、車で10分ほど走った高台の仮設住宅で、
1DKの部屋に一人で暮らしている70歳代の女性と出会った。
夫とは、数年前に離婚。
最愛の息子は、10数年前、建設現場の事故で亡くなったという。

一人での生活は、明るかった性格に影を落とした。
さらに、追い討ちをかけるように「老化」が彼女の体を襲う。
膝の軟骨が磨り減り、支えがないと歩けなくなっていった。
思うように動かない体は、彼女の気持ちをいっそう暗くさせた。

そして、2011年3月11日。
海岸沿いの自宅にいた彼女にも、津波が襲ってくるのが見えたが、
足の悪い彼女に逃げる時間はない。
いつの間にか津波は彼女の腰まで達していた。しかし、恐怖はなかった。
「これで、息子のもとにいける・・・」

安堵にも似た気持ちに襲われたそのとき、誰かが手を差し出した。
「死なせて欲しい、とあのときは思った。息子が生かしてくれたのかもしれないね。」

***

仮設住宅で話を聞いた後、彼女が買い物に行く様子を撮影することになった。
彼女は大きなリュックを取り出し、その中に保険証と水、そしてお守りを詰めた。
「一度生きる、と決めたから」
そういって、彼女は杖を握り表へと出た。

取材のテーマは、あくまで『冬の仮設住宅で苦しむ被災者』だった。
凍って滑りやすくなっている坂道が現れる。
私はカメラを彼女の足元に向け、ゆっくりと彼女の顔へと動かした。

すると、まっすぐ前を向いて彼女は泣いていた。
驚いた私は、彼女の視線の先に目を向けた。
津波ですべて流された陸前高田の街の景色が広がっていた。
「何もない。本当に何もない・・・」
震災から半年以上が過ぎ、何度も目にしたはずの風景・・・。
それでも涙は止まらなかった。

杖に頼りながら一歩一歩、凍った路面を歩き続ける彼女を、私は撮影した。
しかし、そこに映っているのは、冬の寒さに苦しむ被災者の姿ではなかった。
それは「強さ」でも、「弱さ」でもない、ただ前へ前へと進む人間の営みだった。

震災直後とは異なり、いま被災地を取材する意味は、
どんな問題があるのか提起することにある。

しかし、映像にテーマを付けるのは我々であって、
映像自体の力というのはもっと別の次元にあるのだと、撮影しながら改めて感じた。

帰りがけ、彼女からお土産を頂いた。
それは一本松の写真がプリントされたクリアファイルだった。
彼女の人生と一本松・・・。

「生きるということ」を撮影すること、
これを忘れずに仕事を続けていきたい。

 

文責:金澤佑太

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