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語られなかった東日本大震災 ~Episode 18~

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『震災におけるボランティアの意味とは』

取材後記のタイトルにもなっているが、今回のテーマは「ボランティア」。
そのボランティアが5月初めのゴールデンウィークで大量に誕生したことは
記憶にも新しい。

全国社会福祉協議会によると、
5月のゴールデンウィーク中(4月28日~5月8日)に
岩手県・宮城県・福島県の3県にボランティアとして参加した人数は
約8万4000人だったという(※1日あたり約7500人)。

〝彼らは一体何のために被災地へ赴くのか〟
〝彼らはそこで何を感じるのか〟

私は率直にこう問いかけるべく、岩手県陸前高田市のボランティアツアーに
密着取材した。

5月中旬、午前5時30分。
JR盛岡駅前のバスロータリーに3台の大型バスが続々と到着した。
これらのバスは1台は陸前高田市へ、もう1台は気仙沼市へ、
そして最後の1台は大槌町へと向かう〝被災地ボランティアバス〟である。
私は陸前高田市へと向かうバスに同乗した。

バスに乗り込むと、すでにほとんどの席が埋まっており、
私は後方の窓側の席についた。
参加者は老若男女、東京からやって来た大学生から北海道在住のおじいさんまで
さまざまで、私はカップルで参加しているという地元・岩手県盛岡市出身の
男性と話をすることができた。

死者1526人、行方不明者543人(7月2日現在)、
壊滅的な被害となった岩手県陸前高田市は、私が訪れる2日前から
本格的に被災地ボランティアの募集を始めるなど、
復旧に大変な時間と労力を費やしている、と盛岡市出身の男性は言う。

盛岡駅を出発して約3時間、総勢36人のボランティアを乗せたバスは
いくつもの山を越えて陸前高田市内へと到着した。


(↑陸前高田市内/ボランティア作業場から見た風景)

今回の作業内容は「泥の除去作業」。

市内にあるガソリンスタンド前の道路脇に溜まった泥を、スコップで取り除き、
その泥を邪魔にならないところまで持って行き、捨てるという単純な作業…
のように思えた。
しかし、全長30mにも及ぶ長い道路脇には、全てこのように石蓋が積まれている。

そう、この下に埋もれている泥を取り除くためには、
まずこの30kg以上あると思われる石蓋を自力でこじ開けなければならないのだ。

とにかくやってみようと、1人の男性が闇雲にバールを使って挑戦してみる…が、
ビクともしない。
もう1人…近くに落ちていた木材を使って開けようと努力するも…失敗。
気がつけば蓋を開けるために使えそうな道具がないか、全員で道具を
探し回っていた。

2人…3人…4人…石蓋と格闘すること約30分、ようやく1つ蓋を
取り除くことに成功した。
蓋を開けてみると、そこには洪水によって溜まった泥が山盛りとなっていて、
私も実際に体験したのだが、それをスコップで掻き出すのも一苦労なのだ。
水分を含んでいる泥はとてつもなく重く、約10kgの重りをつけて
筋肉トレーニングをひたすら繰り返しているかのようだった。

この作業を朝から夕方まで、約5時間行った結果、
ようやくガソリンスタンド前の溝(約30m間)はキレイに泥が取り除かれた。

東京からやって来たボランティア参加者の20代女性は

「今回の作業はとても大変で皆さんの足を引っ張ってしまったかもしれません
でも、皆さんと一緒にボランティアができて、私の中の何かが変わった」

と私に話してくれた。

市内のガソリンスタンド前で作業をした5時間、
一心不乱に溝に溜まった泥を掻き出していた参加者たちの間には、
確かに〝強い絆〟が生まれているように感じた。

あの女性の話ではないが、〝私の中の何かが変わった〟という言葉通り、

〝自分を変えたくてボランティアにやって来た〟

という方がとても多いことも確かだ。

青森からやって来た30代女性は

「仕事で思い悩んでいたが、こうやって皆で力を合わせて作業をしたことで
心の中のモヤモヤが取れた気がします」

と笑顔で語ってくれた。

総勢36人で組織されたボランティアという名の〝社会〟の中で、
〝自分を見つめ直す機会として〟被災地に赴き、泥かきをしている方々がいる。
東日本大震災によって自分を見つめ直すことができた、ということなのだろう。

文責:制作部 小島典浩

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